クリープハイプからニコ厨へ – ネット老人会・長谷川カオナシ ソロ記念インタビュー【前編】

(本文/加藤大樹 撮影/ひがけん)

クリープハイプのベーシストとして16年、独特の存在感を放ち続けてきた長谷川カオナシが、ついに“ひとりの音楽家”として動き出した。11月26日にリリースされる自身初のソロアルバム『お面の向こうは伽藍堂』 には、長年胸の奥に積み重ねてきた想いと、ネットカルチャーを源流に持つ彼ならではの感性が息づいている。本インタビューでは、作品誕生の裏側から、少年時代を支えたインターネットとの関わりや、『タートルズ』「レトロゲーム」といった己を形作った趣味について語ってもらった。後編ではサイン入りチェキのプレゼントキャンペーンも実施。

なお本インタビューは、ニコニコ動画でのゲーム実況プレイをきっかけに長谷川カオナシと交流を持ち、本アルバムでも一部コーラスとして参加している加藤(ゆとり組)が担当している。アルバムやソロデビューについてはもちろん、レトロゲーム、ニコニコ動画で育った同い年の男ふたりの「ネット老人会」トークも楽しんでもらいたい。

長谷川カオナシ。1987年9月23日生まれ。東京都出身。2012年にクリープハイプのベーシストとしてメジャーデビュー。2025年11月26日にアルバム『お面の向こうは伽藍堂』でソロデビュー。『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』愛好家としても知られ、2023年公開の映画『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』や、配信中のアニメ『テイルズ・オブ・ザ・ミュータント・タートルズ』ではレイ・フィレット役としても出演。「ベース・マガジンWEB」とYouTubeチャンネルで「レトロゲーム喫音堂」を連載中
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“野良楽器弾き”がお面を被るまで

――カオナシさんは、2012年にクリープハイプとしてデビューして以来、グループを軸に活動していたと思います。今回、ソロデビューするに至った経緯を教えてください。

もともと私は“野良楽器弾き”になりたかったんです。高校在学中(2003~2005年)からひとつのバンドでベースを弾いていて、コーラスはしても自分で歌うことや楽曲を作ることはありませんでした。2009年にバンドを抜け、「もっといろんな人と一緒に音楽をやりたい」と思うようになったんです。

――いわゆるサポートメンバー的な立ち位置ですね。

そうですね。その頃から曲作りや、ソロでのライブ欲が出てきました。3ヶ月ほどソロで活動していたのですが、同じ時期にクリープハイプからサポートメンバーの打診がありまして、気が付いたら正式メンバーとして加入することになりました。

――本格的にソロへ進む前に、バンドとしての活動が始まった。

はい。ソロじゃなくても、自分としての表現ができたんです。クリープハイプでは私が作曲することもあり、インプットとアウトプットの収支が合っているような感覚でした。でも心の奥では、いつか“ソロ名義で作品を作りたい”という想いがありました。

――その想いが具体的に動き出したきっかけは?

2020年に予定していた大きなツアーが、コロナの影響で途中から公演中止になってしまったんです。そこからしばらくライブができない時期が続きました。

――10周年全国ツアー「僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上はやっぱりクリープハイプで出来てた」ですね。

その後、2021年に尾崎さん(クリープハイプ・ボーカルの尾崎世界観)が弾き語りツアーを開催し、私はオープニングアクトとして出演しました。15分以上、ひとりでステージに立つ機会をいただいて。そこから“自分のエゴイスティックなステージを作りたい、作品を提示したい”という気持ちが強くなったんです。

――ライブできない期間が続いて、溜めに溜めていたものが、久しぶりのステージで爆発した。カオナシさんは、メンバー間での自分の立ち位置だったり、グループ内での和だったりを、大切にされているじゃないですか。バンドのバランスを崩す可能性があるなら自己主張はしない。「何もしないをする」をして、調和を守っているタイプというか。

本当にその通りです。「自分の作品を出すという気持ち」をちょっとでも肥大させてしまうと、「バンドのバランスを著しく損傷する恐れがある……」と怯えていました。

――でも今回、その決断をした。自身の中で「良いタイミング」があったということですよね。

はい、クリープハイプは2025年の2~4月に全国ツアー、5~7月にアリーナツアーと、連続して大きめのライブを行いました。でも、ツアーを終えてからの8月以降はバンドとしての予定を決めていなかったんです。バンドメンバーと今後のことを話し合ったときに、期間を決めて少しゆっくりしてみるのもいいんじゃないか、となりました。

――充電期間じゃないですけど、蓄えようと。

その時メンバーから、「以前、話していたソロ活動をしてみてもいいんじゃない?」と言ってもらったんです。そこで、「ソロアルバムを作りたいです」とちゃんと打ち明けました。これが2024年末くらいの出来事ですね。

谷山浩子アレンジ「ハエ記念日」には「不良のビオラ」も

――アルバム制作は2025年の始まりとほぼ同時期ですね。ソロで作るということは、楽しさや達成感だけではなく、苦労も人一倍だと思います。

自分で好きにできるのは良いこともあるんですけど、すべて判断しないといけないのは、とてもリソースを割くことだなとも思いました。たとえば、レコーディング。これまで15年間、クリープハイプでレコーディングをしてきて、「このテイクが良かった悪かった」は、それぞれが担当している楽器で判断してきました。今回、基本的に私ひとりで音の判断をしないといけません。同じ1日のレコーディングでも、脳がずっと稼働していて、責任の重さを強く感じました。

――各方面の連絡とかも個人でやられていましたよね。

事務的な部分はレコード会社がサポートしてくれましたけど、ほとんど自分マターでした。大変でしたけど、やりがいも大きかったです。

――全12曲収録のアルバムから、印象的な楽曲をいくつか教えてください。

そうですね。ちょうど今日(インタビュー日は10月29日)、配信されたので「ハエ記念日」にしましょうか。10月29日は「ハエ記念日」です。歌謡曲を作りたくて書いた曲ですね。

――「ハエ記念日」は谷山浩子さんがアレンジを担当されています。このキャスティングもカオナシさんが?

はい。尾崎さんにアルバムの人選を相談したときに、私が挙げた名前がみんな友だちだったんです。そうしたら、「せっかくの機会だから、尊敬するアーティストに声をかけてみたらどう?」と言われました。「なるほど……」と声をかけました。デモを聴いていただいたら「面白い曲ですね」と言っていただけて。そこから谷山さんの多くの楽曲を共作されている石井AQさんにもアレンジに参加していただきました。

――アルバムを通して聴くと、「ハエ記念日」で一気に空気が変わる。谷山さんの存在感が際立っています。

私、谷山さんを知ったのはニコニコ動画なんですよ。2008~2009年くらいかな。

――たしかに、僕もニコニコ動画かも。当時「みんなのうた」で聴いていただろうけど、お名前をちゃんと認識して楽曲に触れたのは、「恋するニワトリ」とか「まっくら森の歌」ですね。

今回、アルバムのクレジットを発表してSNSの反応を見たら、我々世代、つまりニコ動世代が反応してくれたイメージがあります。谷山さん、しも(simoyuki)、亀戸組に対する声が多かったですね。

――谷山さんとはどんなやりとりを?

谷山さんが参加されると決まったとき、嬉しくなっちゃって、自分が作った曲をたくさん聴いていただいたんですよ。アルバムにも入っている「あなたはきっと」も谷山さんの影響で書きましたって。そういうところも面白がっていただいて、作詞作曲の話だけではなく、生い立ちの話とか、個人的なメールもたくさんさせていただきました。

――それはかなり貴重なお時間ですね。「ハエ記念日」は石井AQさんからの提案で、谷山さんがピアノを担当して、カオナシさんのビオラもレコーディングしたとうかがっています。

はい、「長谷川さんがビオラを弾いている動画を見たけど、これは入れたほうがいい」と。私はバイオリンやビオラを弾きますけど、バンドのレコーディングに参加できるようなタイプではないんです。「不良の弾くビオラ」と思っています。よく言えばロックなんですけど。

――いわゆる正道ではない。でも、クラシックは習っていたんですよね?

習ってはいたけど、離れていた時期が長かったんです。なので、出る場所を選ぶタイプのビオラだと思っていたんです。しかし、それを理解した上で「弾いたほうがいい」と言っていただけて、とても嬉しかったです。

ネット老人会が生み出した清らかな「恋する千羽鶴」

――もう1曲は……。「恋する千羽鶴」、ですかね。

そうですね、絶対に「恋する千羽鶴」です! この曲は私の好きなゲーム実況者のみなさん、いわゆる亀戸組と呼ばれている方たちにコーラス参加をお願いしました。実は今インタビューしてくださっている加藤さんにも参加していただいて。

――本当に恐縮です。出過ぎた真似をしてしまったなと思いつつも、せっかくのカオナシさんからのお誘いなので、これはぜひ力になりたいとご協力させていただきました。

最高でした……。

――まず、みなさんに経緯を説明させてもらいますと。カオナシさんが僕たちゲーム実況者を含んだディスコードのチャンネルを作成し、そこにコーラス、というかガヤですね。声を入れてほしいとお願いがありまして。そこで納品していったのが、現在のクレジットにあるイボーン、塩、しんすけ、たろちん、はるしげ、藤原、ルーツと加藤のメンバーということです。各自声を入れて納品するというスタイルだったわけですけど、各々が五月雨式に送るため管理が大変だったのではないかと。

大変さもありましたけど、ひとりずつ素材を吟味して、曲のなかに配置していく作業はとても楽しかったです。コーラスやガヤを収録するときは、レコーディングスタジオにいるスタッフたちの声を録るという手法が一般的です。でも、みなさんの自宅で録って納品するほうが面白いし、得意としていることだろうと。良いものになる確信がありました。

――そう言っていただけるとありがたいです。普段とは違う作業だったと思いますが、印象的なことはありましたか?

最初に音声ファイルを送ってくれたのはルーツ先生でした。最初、私がテキストで「こういうイメージで収録してください」としっかり送ったつもりだったんですけど、「難しかったかな? 自分でサンプルを録って送ったほうが良かったかな?」と悩んでいたときに、ルーツ先生が送ってくれたんです。そこからほかのみなさんも、感覚が掴めたのかなと。

――先陣を切ったルーツに引っ張られたところはあるかもしれないですね。また、ひとつ気になったのですが、「恋する千羽鶴」のアレンジがsimoyukiさんという方なんですけど、これは……。

そうですね、しもです。

――「組曲『ニコニコ動画』」 「ニコニコ動画流星群」 の……!

もともと、しもは高校の同級生なんです。僕がはじめて入ったバンドのドラムを担当してくれました。彼は当時からDTMをやっていて、自作のCD-Rアルバムも作っていました。そのときのトランスとかチップチューンが「組曲『ニコニコ動画』」につながったんだと思います。

――そのクラス、音楽の才能が固まっていますね……。

私はしもに教えてもらってニコニコ動画を観るようになりましたからね。しもとふたりでゆとり組の「こんな時代だからこそ くにおの大運動会を4人で実況」を観ました。

――はえー……。そんなふたりが今回タッグを組んで楽曲を作るというのは運命的なものがありますね。

アルバムを作るに当たって、しもには絶対どこかで関わってもらおうと決めていたんです。どういう曲をお願いしようか迷っていたときに、しもがX(旧:Twitter)に15秒くらいの短いトラックを投稿していたんですよ。「いつものしもの音だなあ。やっぱりすごいなあ」と思って、すぐ「恋する千羽鶴」の原型を作りました。歌詞もこの時点で8割くらいは出来ていましたね。

――完全にイメージが固まった。そこからガヤを入れるというのは、どういう流れで?

明るい曲なので、たくさんガヤを入れたかったんです。クリープハイプのレコーディングでもメンバー全員でガヤを録ったことはあるんですけど、今回はソロですからね。別のドラマが欲しいと思ったんです。「私ならではのキャスティングとはなにか」と考えたところ、「やっぱりゲーム実況だな」と。そこでみなさんに連絡をしました。

――そういう経緯だったんですね。ネット文化にどっぷりと浸かっているカオナシさんならではの制作スタイル。

私はもはやネット老人会に居る層なので、同じ世代にクスッと刺さってくれたらいいなと思いました。しもと亀戸組も、世代間的にもちょうどいいだろうなって。それが、トピック先行にならないものになったと思います。ニュースとして取り上げられたときに私が売名をする形になったら寒いじゃないですか。楽曲として欲しいものがあって、そこでみなさんの力を添えていただいた。清らかな曲が出来たと思います。

後編は11月29日掲載予定